2025年10月
10月 5th, 2025年
RFLルミナリエメッセージ
2025/10/05リレー・フォー・ライフ2025佐賀
ルミナリエ点灯式メッセージ
がん遺族の会 りんどうの会の福島です。
今ここにあるエンプティテーブルにはいろんな意味が含まれています。その中で私たち遺族には、ガンで命を失った愛する人が座る場所です。私たちにとっては大切な場所です。今、その椅子に座っているであろう妻は、2011年1月に帰らぬ人となりました。3年2か月の闘病生活でした。
がんの疑いがあると言われ、好生館で検査を受け、既に肝臓にまで転移していることが判明し、やがて手術の日となりました。
午前中の3時間にわたる手術の結果、大腸ガンは取り除かれ、そして午後は転移した肝臓にあるガンの摘出手術です。
開いてみないと判らない部分があるので、その時は1時間ほどで終わりますという医師の説明を受けて、何とも言えない気持ちになっていました。
家族待合室のドアが開くたびに、呼ばれる名前が違うことを祈り続けました。しかし時間が経つにつれて他の家族はみんな引き上げていきます。最後に私一人残された時間は重苦しく、今度は無事に終わり早く帰ってきて欲しいと願うだけでした。
夕方6時過ぎに手術は終わりましたが「どうしても取れない場所があった」と聴かされ、この先の不安でいっぱいになりましたが、
その後の妻は、笑顔を絶やすことなく気丈に立ち振る舞っていました。
そんな妻でしたが、抗がん剤の副作用からくる味覚障害に一番苦しんでいました。嗅覚はしっかりしているので、記憶にある味を期待して口に運んでも、味もそっけもない物体があるだけ。腫瘍マーカーは下がってはいても、体力の低下やその他の副作用で苦しみぬいていました。
治療が2年程過ぎたある日、妻が言った一言は「もう治療はしない 抗がん剤は辞める」というものでした。
その言葉が意味するものをお判りいただけるでしょうか。死を覚悟し、そう遠くないある日、死が彼女を迎えに来ることを受け入れた一言でした。
抗がん剤の副作用で弱っていくくらいなら、自分は人として自分らしく生きて、美味しいものを美味しいと感じながら食べ、元気なうちに旅行にも行きたい。普通の暮らしをしてその日を迎えたい。
妻も悩んだと思います。でもその顔には微笑みさえも浮かんでいて、どこかにさわやかさがありました。
「ごめんね」という妻の決心を私は受け止めました。そして妻は、「私はあなたによって生かされていく」と言ってくれました。
それからの妻との時間はとても楽しく過ごすことが出来ました。念願の二人だけの旅行も楽しみました。生きていることの素晴らしさを感じ取っていた日々でした。
しかし病魔は確実に妻の体を蝕んでいました。
やがて好生館の緩和ケアに入院しましたが、その時も妻は「治療をやめたことで、私はとてもいい時間をもらった。これから緩和ケアに行くのも、最後まで自分らしく生きていたいから」としっかりと前を向いていました。
妻との時間が少なくなっていくのを感じていたある日、ベットに戻れなくなった妻を抱きかかえたときに、あまりの軽さに不覚にも涙を見せてしまいました。それから間もなく妻は帰らぬ人となりました。生ききることの覚悟を私に教えてくれた妻でした。
家族は、患者と共にがんに立ち向かい、患者の苦しみを傍で見つめながら、患者と交代することのできない辛さや、苦しみを抱えて共に生きています。
そして、遺族となるその日を迎えることで始まる、悲しみの時間。永遠に続くと思われる悲しみの中からの立ち直りを模索する中で、グリーフケア 悲嘆回復という言葉に出会うことが出来ました。
遺族にもいつか笑顔が戻ってくることを信じて、がん遺族の会「りんどうの会」を立ち上げています。遺族のみなさん!りんどうの会の扉をノックしてください。
同じ悲しみを経験した仲間が、あなたを待っています。