2013年12月
12月, 2013年
1年の終わりに
2013/12/312013年も今日で終わりですね。
この1年間、この書き込みにもお付合い頂きまして
ありがとうございました。
なかなか会員の方が増えないこと
サロン以外の活動に踏み切れないことが
今年の反省点です
次年度は、小さいながらも講演会が開催出来ればと思っています。
私たちは「ガン患者の遺族」会ですが
遺族であるが故に、全ての場面を経験しています
外科的手術、抗がん剤、放射線、ホルピス等
そして「死」に直面しながら日々を過ごすことの辛さ・・・
通り過ぎて来た、それらの経験を生かすことができればと
何時も思って今ながら、行動に移せません
これまでも何回か書きましたが
「生きている」ことと「生きる」ことと「生ききる」こと
その違いを受け止め理解することで
ガンに負けない気持ちも成熟して行きます
来年はそう言ったことへの活動も広げて行きたいと思っています。
妻に捧げるレクイエム=7=
2013/12/30手術の日 再び手術開始
肝臓に転移したガンは全部で9個。
取り除けるかどうかは開腹して判断するとのこと。
そんな説明の後、再び手術が始まった。
電話が直に鳴らないことを願いながら(*注)
必死に祈っていた。
その祈りが届いたのか、鳴らなかった。
*注・手術が不可能な場合は、手をつけずに直に終わるという話しだった。
手術の日 待ちくたびれて
午後3時を過ぎ、肝臓に転移したガンの摘出が
進んでいることを確信した。
しかし、5時になっても終わらない。
他の家族が帰って行く中、一人残っていた。
午後6時過ぎに君は手術室から出て来た。
9時間近い闘いを終えて。
妻に捧げるレクイエム=6=
2013/12/27手術の日 PHS
長い一日が始まった。
僕の首には渡されたPHS電話。
緊急の時や術後の呼出しに使うので
病院内にいて下さいと念を押された。
家族控室は息苦しかったので、
病院の中を行ったり来たり歩いていた。
手術の日 ガン細胞
昼頃に最初の呼出しがあって、カンファレンスルームに行った。
大腸がんの摘出が終わって、そいつはそこにいた。
五百円玉ほどの大きさで毒々しい色だった。
君の身体を蝕んだ病巣を睨みながら医師の説明を聞いていた。
妻に捧げるレクイエム=5=
2013/12/24手術の日 始まり
12月6日の朝8時に、君の病室に行ったけど
最初の仕事は、持ち込んだ私物の整理だった。
手術後に部屋が代わるので
全て持ち出すようにとのことだった。
その時君は、既に手術着に着替えて、点滴を受けていたね。
手術の日 手術室
時間になると君と一緒に手術室に向かったね。
手術の前に麻酔などの前処置があると言うことだったけど
僕が一緒に行けるのは、手術室の前まで。
他に言葉が見つからなかったので
ただ、君の目を見て頷くしかなかった。
妻に捧げるレクイエム=4=
2013/12/21入院
この日の記憶は鮮明ではないんだ。
受付を済ませて外来待合室で待機した後に病棟に行ったんだよね。
最初は病室の出入り口に近いベッドだったので
窓際が空いたら移りたいと話していたよね。
この日から僕の一人暮らしが始まった。
義父さん
義父さんにも辛い思いをさせてしまった。
君が入院するのでお世話する人がいないから、
病院に入院してもらったけど、
淋しく辛かっただろうね。
僕も君のことに集中するあまり、義父さんの病院にはほとんど行けなかった。
妻に捧げるレクイエム=3=
2013/12/18入院の日まで
ベッドが空くまで待つ時間は、とても長く感じられた。
1日延びるとその分ガンが成長して君を蝕んで行く。
そんな恐怖感が僕を締め付けて行く。
君は僕以上に辛かったのだろうね。
でも、君は笑顔を絶やすことなく、日々を送っていた。
入院前日
入院の経験は僕にもあるから、
持って行く物をあれこれ準備しながら、
「これがあると意外に便利だよ」などと言っていたのかな。
思いのほか荷物が多くなったので、
キャスター付きの旅行カバンで持って行くことになったね。
妻に捧げるレクイエム=2=
2013/12/15健康診断はきらい
君は健康診断を嫌がっていたね。
ガンが見つかったら死ねばいいだけよって、言っていたけど
まさか本当にそんな自体が来るなんて思ってもみなかった。
だって、何の予兆も無く何処も悪くなかったのだからね。
再検査
再検査は僕が東京での研修に出ている日だった。
何度か電話してもつながらず、不安が駆け巡ったけれど
その不安は当たってしまった。
ガンは既に肝臓にまで転移していた。
一番辛い日だったと君は言っていたね。
妻に捧げるレクイエム =1=
2013/12/12告知の日
平成19年11月14日にちょっと行って来ると言って
検査に出かけた君。軽い気持ちでの検査だったのに。
検査を終えた君から信じられない言葉を聞いた。
ガンだった。
頭の中が真っ白になった。嘘であってほしい。
大腸がん
ガンは大腸がんだった。
下行結腸という、左脇腹あたりにあって、手術もそう難しくはないとの事だった。
精密検査をすることになったが、
ちょいちょいっと切れば済む事よって、君は意外とのんきに構えていたよね。
第16回(1/15) りんどうの会サロンのご案内
2013/12/09第16回りんどうの会サロン
下記に開催致します
体験参加も、お気軽にお問合せ、ご連絡下さい
・日時 2014年1月15日(水) 19:00~20:30
・場所 iスクエアビルの3階会議室です
(1階エレベーター前に案内板が出ています)
・会場地図:http://goo.gl/maps/zU3zC
妻に捧げる100文字で綴るレクイエム - はじめに –
2013/12/09妻に捧げる100文字で綴るレクイエム(ガンと闘った3年と2ヶ月)
はじめに
大腸がんの告知を受けてから、3年と2ヶ月余り、妻はその59年間の生涯を閉じました。
ここに書き綴ったのは告知から死を迎えるまでの第1章と、その後概ね1年間を第2章として
一つ一つの出来事を百文字程度の短い文章にして、妻に語りかける形で書き綴りました。
ガンと向き合いながら強く明るく生きた妻、
ただそれを見守る事しか出来なかった私が、どう生きて来たのか
どう生き抜いてきたのか
とりとめの無い話しですが、妻との二人三脚で歩いた日々の足跡です。
今この時にも、妻が傍にいる様な気がします。
妻の声が聞こえる様なきがします。
いつまでもいつまでも、そうあって欲しいと願いながら。
京子へ届けとの思いを混めて・・・・龍一