2015年1月
1月, 2015年
4回目のその日
2015/01/28時間が午前0時を回って、その日が来ました
その時までは、まだ19時間という時間がありますが
今日がその日であることに変わりはありません
そう、4年という月日が流れていきました
決して一人ぼっちだった訳ではありません
本当に多くの方々に支えていただきながら
励ましてもらいながら、心を配ってもらいながら
長い道を歩いてきました
命なんかどうなってもいいと思った時もありました
お酒に溺れて、毎晩毎晩飲み明かした時もありました
悲しくて悲しくて、涙が止まらなかったことは
数えきれないほどありました
そんなどうしようもない日々を過ごしてきたあとに
少しだけ前を見て歩き出す勇気の灯火が
ポッと道を照らしてくれているような
そんなことを感じている今日です
貴女は、そんな僕のことを見ていてくれるのでしょうか
貴女は、そんな僕のことを喜んでくれるのでしょうか
貴女はいま、どこで僕のことを見ているのでしょうか
貴女と別れた今日が、今始まりました
季節の思い
2015/01/22やはりこの季節になると、4年前のことが思い出されてきます。
その日まで一週間というこの頃から、一気に妻は弱っていきました。
23日に医師から「意識の混濁が始まるので、近親者を呼ぶように言われて
家族と近い親族に連絡を入れました。
黄疸で顔の色が変わってきて、やがて食事も水も口にしなくなりました
病室に行っても、ほとんど話すことがなくなり、
ある日洗面台の横で座り込んで、ベッドに戻れない妻を抱きかかえた時
その、あまりの軽さに言葉もなく、涙をこらえきれませんでした
看護師さんから「緩和ケアは家族のケアもします、相談してください」と声をかけられ
場所もわきまえずに廊下で泣いてしまいました、その言葉は嬉しくて優しくて暖かかった
その日から二日後の夜に私の眼の前で、息を引き取りました
1月28日午後7時20分でした
妻の最後は、二夜を自宅で過ごして
30日に葬儀場に移動してお通夜を迎えたのですが
その日は、午後から降り始めた雪がしっかりと積もり
真っ白な世界を作ってくれました
その時が、間もなくやってきます
死の選択
2015/01/17ぞっとしないタイトルですが、形あるものいつかは滅びるもの、それは命とて同じこと。永遠に続く命などあろうはずはありません。人は(も)いつしか死を迎えるのです。それは100%の確率で全ての人に訪れる時なのです。
私の妻がガンにかかり、手術から抗がん剤と幾つかの手立ての末に、緩和ケアを選択するときに、最後に私たち夫婦の背中を押してくれたのもこの言葉でした。そして、驚いたことに私の父も「どうせ死ぬのだから、自分はガンで死にたい」と言っていました。
もちろん、天寿を全うした自然死というものが皆が望む形なのかもしれませんが、往々にして事故死、病死ということも本当におおくあります。父が言っていた「ガンで死にたい」という言葉の裏には、死に直面しながらも時間があるということです。ガンの種類や部位、進行状況でその時間には個人差がありますが、概ねガンの宣告から死に至るまでには時間があります。私の妻の場合は3年2ヶ月でした。その時間の中で自分の身辺整理や家族への伝言ができる・・そのことを父は言っていたみたいです。
事故や即死に繋がるような病気で逝くことを考えると、確かにそう言った考え方もできるものなのですね。皆様方はどう思われますか?ただ、それを横で見守り続ける家族の苦しみや悲しさはまた別の次元の話です。
もうすぐ妻の命日です。4年が経とうとしています。
今月のサロンについて
2015/01/05今月のサロンは
1月21日 水曜日 午後7時からです。
会場は白山の佐賀商工ビルです。
7階F会議室を準備していますので、お気軽にお出かけ下さい。
(地図)
りんどうの会は、セルフケアの会です。
参加資格は、ガンで身近な方を亡くされた方々です。
ガンの種類や、亡くなられた方との関係は問いません。
先ずは、お電話かメールでお知らせください。
事務局/〒840-0825 佐賀県佐賀市中央本町2-16
電話 090-7456-2000(福島)
メール info@rindou-saga.com