2021年1月
1月, 2021年
10年目の冬・その日そして
2021/01/282011年1月28日午後7時20分に妻は逝きました
その日の午後5時に病室に行った時
妻は既に言葉を発することはありませんでしたが
翌日には、子ども達や義兄、姪たちも佐賀に帰ってきて
妻との面会を予定していることを話すと、うなずいてくれました
しかし2時間後、妻は鬼籍の人になりました
たまたま一日早く帰ってきていた娘と私の二人で
その時を迎えることになりました
親せき、友人など関係者にも連絡を入れ
電話の先で泣き崩れる声が妻の存在の大きさを感じさせます
悲しみの中でも、葬儀社との打ち合わせなど、しなければならない作業で
あわただしく時間は過ぎていきました
翌日、天気が午後から崩れて
夕方から降り出した雪が、通夜の頃には積もって
一面の雪景色の中で、多くの方々に見送っていただきながら
静かに静かに、妻との別れは進んでいきました
その冬の日から10年という年月が流れました
(写真は、亡くなる半年前、最後の旅行の時の写真です)
生ききる
2021/01/22今日の佐賀新聞に掲載していただきました
前回の「10年目の冬」で伝えきれなかった「生ききる」について書きました
友人から
『新聞記事読みました。本当にそうですね、私も妻と一緒に悔いがない人生を送りたいと思います。ありがとう』
とメッセージをもらいました。ありがとう
原文
タイトル『生きること、生ききること』
人の命には限りがあります
いつか終焉の時を迎えるという事実を、私たちはどれだけ認識して生きているのでしょうか
必ず来る「死」にしっかりと向き合うことを避けて生きているのではないでしょうか
明日も今日と同じ一日が来る、同じ日々が繰り返されると思って生きています
「人はいつか必ず死ぬ」という言葉を聞きたくないという人もいるでしょう
しかし死は必ずやってきます
それは天寿を全うしても、事故や災害、がんや病気で理不尽に奪われていくことも
妻はガンで闘病生活を続けていましたが、「自分らしく生きていたい」と一切の治療を止める決心をしたときに、
「生きること」と「生ききること」の違いに気づかされました
私は今を生きています
それは生物学的に命があるということです
両親から授けられた命をつないでいっているということです
それは自分の意志ではありません
今を生きるという意志で生きているわけではありません
それに対して、生ききるということは自分の意志で生きていくとこです
それはいつか来る死を受け入れ、限りある命を全うしようとする強い思いがそこには存在します
私も妻の残りの人生を共に生きながら、彼女の強い思いを感じることが出来ました
その妻が私に残した言葉が今も心に響いています
「私は貴方によって生かされる」
妻は確かに生ききっていたと思います