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みんなのメッセージ

がん遺族つどいの会

2020/12/19
佐賀県と佐賀県健康づくりの共催で開催された
がん遺族のつどいの会
佐賀県がん総合支援センター「さん愛プラザ」で行われました
 
りんどうの会からも私を含めて4名が参加しました
 
会の進行は、佐賀大学医学部の
臨床心理士の先生にお願いして
私も勉強させて頂きました
 
とっても良い雰囲気の中で
途中換気休憩を挟みながら2時間のつどいの会が進みました
その後に、ピアノとサキソフォーンのコラボ演奏まで企画されていて
素敵な時間を過ごすことができました
 
参加を予定されていた方がお一人欠席されましたが
こう言った遺族会の難しさもまた実感として感じました
 
グリーフケアを必要としている方々に寄り添いたい
悲しみの中にいる人と、その悲しみを共有して一緒に歩いて行きたい
 
りんどうの会はいつでも扉を開けています
貴方をお待ちしています
 
 
 
 
 
 
 
 
 

10年目の冬

2020/12/12
佐賀新聞のひろばに掲載していただきました(令和2年12月12日)
 
またこの季節が来ました。
10年前のその年、妻はがんと闘いながら闘病生活3年目の冬を迎えていました。
大腸がんで見つかった時には既に肝臓にまで転移していました。
 
すぐに手術が行われました。9時間近くに及ぶ大手術で、家族控室にいた他の家族の方は、一人また一人と帰って行く中、一人残された病院の窓から薄暗くなる冬の空を見ながら、手術が上手く行くようにと祈るばかりでした。
 
術後に肝臓に転移したがんの一部が取り除けなかったことを聞いた時には、
頭の中が真っ白になり何も考えることが出来ませんでした。
それでもがん細胞を叩くために抗がん剤など出来る限りの治療を試みました。セカンドオピニオンにも行きましたが、これといった手立ては見つかりませんでした。
 
術後から2年が過ぎた頃に、普通の生活がしたいと抗がん剤治療を止める決心をしました。
それはいつか来る死を受け入れることでした。悩みぬいたうえでの決意でした。
それでも、妻は抗がん剤の副作用から解放されて、東京や京都に旅行に行くこともできました。
私の父の葬儀から法要までしっかりと私を支えて努めてくれました。
 
秋風が吹くころ、次第に体調を崩すようになり、腫瘍マーカーも徐々に上がり好生館の緩和ケアに入院しました。
正月に一時帰宅したのが最後の家族団欒になり、40日間の入院生活の末、残された命を生ききって妻は逝きました。
10年前の冬は妻と過ごした最後の冬になりました。
 
独白
新聞の掲載では、文字数の関係でアンダーバーの部分が省略されていますが
本当は、個々の部分が一番言いたかったことでした
生きていたのではなく、生ききったのです
表現は似ていますが、全く異なる生き方です
 
#がん遺族 #グリーフケア 

「マスターの贈り物」

2020/10/05
家の近くにある、西洋風居酒屋
その店は、亡くなった妻とよくいっていたお店
私は、海鮮サラダを妻は春巻きを必ず注文していました
    
つい先日も、夕食をとりに行って
春巻きを食べながら、マスターと思い出話をしていて
話題に上った出来事がありました
 
いつの日だったか、49日の頃だっかかと思いますが
娘と二人で夕食をとりに行った時の事でした
カウンターに座って注文をあれこれ考えていた時に
「奥様が好きだったですよね」と春巻きを準備してくれました
覚えていて頂いていたんだと、目頭が熱くなるのを感じました
  
その後で、これも妻と時々言っていたショットバーで
「奥様がよく注文されていた、ザクロのジュースです」と
娘のために、生のザクロから絞っていただきました
 
妻のことも、妻が好きだったもののことも覚えていてくださって  
本当にうれしい一夜でした
お二人のマスターに感謝です
  
年が明けると、逝ってから10年という歳月が過ぎます
 

グリーフケア・アドバイザー特級資格

2020/09/20

日本グリーフケア協会が主催している

グリーフケア・アドバイザーの特級資格を取得しました

これからの、サロンやグリーフケア活動の中に活かしていきたいと思っています

 

新しいチラシが出来あがりました

2020/08/20

念願であった新しいチラシが出来あがりました

多くの皆様方の目に留まればと期待しています

このチラシを置いていただける方(場所)がありましたら

ご一報を、よろしくお願いします。

2月19日緩和ケア症例検討会から ④

2020/03/23

令和2年2月19日

佐賀県医療センター好生館・緩和ケア症例検討会から

遺族の体験発表 ④

私の夫は、2018年4月30日に胆のうがんで亡くなりました。がんと診断される2~3年前くらいより、腺筋症疑いと言われ、半年に1回CTを撮っていました。全く動く気配はなかったのですが、その半年の間に突然進行し始め、転移をし、手術することは出来ませんでした。

 私は夫の前にも両親を二人ともがんで亡くしており、がんの怖さというものを知っていました。治療は苦痛を伴うものばかりで、闘うつもりがなくても、つらい闘病生活になることも理解したうえで、ただただがんに抗ってやろう、抵抗してやろうと思いやってきたように思います。

 主治医の先生にお願いして通常の抗がん剤治療、放射線治療に加えて、免疫療法、陽子線治療、温熱療法等、考え付く限りの治療をさせていただきました。最後に入院したのは2月の終わり、ちょうど今ぐらいの頃で、まだ寒い時期でした。

 自宅に帰れなくなるとは考えてもいなかったのですが、その重い状況に職場に無理を言って休みをもらい付き添いをしました。ただ眠っている姿を見続けるだけのこともあれば、夜中に何度も起こされ眠れない時もあり、夫が食事を食べれなくなると一緒に食事がのどを通らなくなりました。病院という閉ざされた空間で過ごす中でも時間は流れ、桜が咲いて、散っていきました。世の中は暖かく明るくなっていっているのに、季節にも取り残されていっているような気持になりました。

 そんな頃、臨床心理士さんや緩和ケアスタッフの方々が優しく声をかけてくださっていたのですが、それらに対し、「あなたには、私の気持ちはわからないでしょう!!」という気持ちになり、同じ経験をした人と話がしたいと思うようになっていきました。

 

 りんどうの会については、当時私の姉妹が調べてくれて、すぐにその存在を知りました。ですが、すぐに足を運ぶことは出来ませんでした。理解はしていても、大切な人を失うということは、想像以上に重く、こんなに辛いことがあるのかと思うほどに、寝て起きても覚めない夢のような、夫のいない現実を受け入れられず、どうやって生きて行ってよいのか分からなくなりました。夫の面影を追わずにはいられず、逆に思い出のありすぎる自宅には帰ることがつらくなり、苦しくて顔を上げられず、下ばかり向いていたように思います。意を決してようやく会に参加したのは、四十九日が過ぎた頃でした。

 りんどうの会は治療機関ではないので、1回参加したからといって直ぐに気持ちが癒される、落ち着くというものではありません。同じがん患者の遺族といっても、がんの種類や取り巻く環境も、全て違う人たちの集まりです。静かに話を聞くだけ、慰めや励ましの言葉もないです。共通することは、同じ辛い経験をしたということ、辛い思いを抱えているということです。それだけで、自然と話が出てきます。気持ちを共有することが出来ます。それまでは全く知らない人たちでした。イベント等に一緒に参加し、ゆっくり時間をかけて話をしていくことで、これ以上はない仲間になっていきました。

 

 私の気持ちの中でも少しづつ変化があり、入院中の辛い時期しか思い出せずに泣いてばかりだったのですが、ある日星空を見上げながら歩いている時に、ふと「あの人もあの世で一緒に歩いているのかなぁ」と思いました。まめな人でしたから、旅行など出かける時はいつも綿密に計画をたて、メモを書き出していました。そんなことを思いだし、それに思い至った時にふいに「あの人のことだからあり得る」と現実味を帯びて感じるようになりました。今はあの世を歩き回って下調べをしているのではないか。私があの世に行った時に道案内が出来るように・・。それならば私もあの世で再会した時に、お互いにどうだったよと話が出来るようにしたいと思いました。

 それから徐々に外に目を向けられるようになっていったように思います。

 初めの1年はどうしても前の年の出来事と比べてしまい辛く思うこともありました。車で一人になった時、テレビに映る仲睦まじい老夫婦を見た時等涙が出る時もありました。ですが、夫の写真に囲まれて生活する中で、私に見せてくれていたのはいつも笑顔だったんだなと感じられるようになっています。

 今は、りんどうの会は、私にとって唯一の楽しみとなっています。