りんどうの会~がん患者遺族の会・佐賀~

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人生会議をしましょう

2023/12/31

人生会議【ACP(アドバンス・ケア・プランニング)】という言葉を聞かれたことはありますか。九月に行われたリレー・フォー・ライフの中でこの講座があり、とても参考になったのでご紹介したいと思います。

 まず基本として押さえておきたいことがあります。それは、一つ「人は必ず死を迎える」。二つ「それがいつ来るか解らない」。三つ「どこで死ぬか解らない」ということです。この絶対的な真理を踏まえたうえで、自分の残りの人生をどの様に生きていくかという設計図を描くこと。それが人生会議に求められています。特に終末期においては、死を意識することで、その時まで生き抜いていく覚悟が生まれ、漫然と死を迎えるのではなく生ききるという気持ちが芽生えてくることが大切なことです。

 人生会議の進め方にはいくつかの例がありますが、一例として①私の生きがいとは、②私の大切なことは、③私の気がかりなことは、④私が耐え切れないことは、⑤私の大切な人は、の五項目について、家族、医療関係者等と時間をかけて話合い、その結果を書き留めておくことです。その内容は変化していきますので、話合いは一回で終わることなく繰り返し行い、その都度書き留めておくことが必要だと言われています。

 終末期の方に限らず、健康な人でも、若い人でも、死の瞬間がいつどこで来るか解りません。これからも自分らしく生きていくために、自分がどう生きて行きたいのかを知るためにも人生会議をしませんか。

夫の14年目の祥月命日に寄せて

2023/10/03

2023年8月10日から10日間、アメリカはワシントン州に住む妹の所へ行ってきました。

 

妹は1995年3月にアメリカ人のマイクと結婚し28年が経ちます。当時はオレゴン州ポートランドに家があり、結婚式は父・母・夫・私と5歳と3歳の娘の初めての渡米でした。そして4年前の2019年正月休暇に次女と2人でワシントン州はシアトルから3時間ほどの現在の家を訪ねました。(その時のことは、2019年3月にこの欄に記載しています)

4年の間に様々なことがありました。新型コロナウイルス感染症の拡大。母が亡くなったこと。次女の結婚と出産。そして私自身のがんの告知。

 

次女は、2020年2月に入籍はしたものの式は叶わず、いつかは挙げたいと夢を温めていました。今年に入り、コロナウイルスの位置づけが5類となり世界各国への往来が期待され始めました。そこで妹とマイクの提案で、妹の家の敷地内でのガーデンウェディングはどうか?気候が安定し皆が休暇になる8月はどうか等、具体的な話が進み始めました。そして日程とフライトが組まれ現実味を帯びてきたのは春頃でした。

日本からは、私と長女・次女一家、婿の両親、友人合わせて10名。アメリカの親せきを入れると30名位の式になり、準備のために次女は1歳の娘を連れて7月初めに渡米しました。

 

そして8月12日の好天に恵まれた北米特有のさわやかな気候の中で式は行われました。

針葉樹に囲まれた森のような広々とした庭。手入れされた新緑の芝生には協会よりお借りした椅子を置きました。色とりどりの花が咲き、心地よい風と鳥の鳴き声も聞こえます。

セレモニーは、神父役にマイク、司会は妹が日本語を交えての進行役です。ゲストも着席し、先ずは婿が入場、続いて婿の両親がゲスト席の中央を進みます。その後をフラワーガールに扮した長女の6歳になる娘が花飾りを頭に付け、籠に入ったバラの花びらを撒きながら入ってきます。そして次女はその娘を抱きブーケと共に婿のもとへ。私も夫の写真を持ち2人で一緒の気持ちで歩きました。

 

ゲスト席を見渡せば、28年前に初めてお会いした親戚の方々の笑顔。見守って下さっている1人1人のお顔が懐かしく、長い歳月を感じます。そしてそばにはパートナーや子どもたちに孫たちも。セレモニーはアットホームな中祝福の印であるユーカリの葉を皆で蒔いて無事に終了しました。

 

マイクは男ばかり5人兄弟。3番目にクリスという兄がいます。28年前には教会では奥様のスーザンさんと子ども達2人と参列されていました。2人は娘たちと同じ年齢で話が合いすぐに打ち解けていました。その後ご自宅に招いてくださったり、私たちが帰国する前日にも会いに来られ、再開の約束をしたものでした。

その後スーザンさんは乳がんに罹患されたと聞いていて案じていました。そして闘病の後亡くなられました。その訃報を聞きましたが、その頃はちょうど私も夫を亡くし年数も経っておらず、とてもつらい気持ちでいっぱいでした。

 

子ども達はどうしているのだろう。寂しくはないだろうか。成長を見ることが叶わずに亡くなられたスーザンさんと夫のことが重なり、悲しくてたまりませんでした。今回、クリスさんと子ども2人はそれぞれパートナーや幼い子ども達を連れての参列でした。私の娘たちも楽しそうに写真を撮りあい、再開を喜び合っていました。28年ぶりに会えたその光景はとても感動的でした。クリスさんのそばには、私と同じくらいの年齢の女性が居られました。あの方がイリーさんだろうか・・? 妹からクリスさんその後再婚されたと聞いていました。そしてとても良い方で幸せに過ごされていると。

 

式が終わり、家の方でパーティーが始まるのでゲストは移動を始めていました。私は婿のお母さんと座って話をしていましたら、イリーさんが来られ何かお話をされたい様子でした。妹の友人に通訳を頼み聞くことにしました。

イリーさんは私の膝の上にある夫の写真を見ながら「私は夫をがんで亡くしました、46歳でした。」と話されました。私も夫のこと、お互いにあまり変わらない年齢で亡くなったことを話しました。それから、色々な話が思いがけずに出来たことで、闘病を支えた者同士、言葉の壁を越えた気持ちが通じ合ったように思え嬉しかったです。一緒に写真を撮ったり、感謝の気持ちを伝えあいました。

 

滞在中は28年前にも訪れたオレゴン州のMt.フッドという観光地へマイクが連れて行ってくれました。総勢13名で湖や歴史あるティンバーラインロッジを訪ねました。降り立った時懐かしい風景がよみがえってきます。カメラを抱えた夫が、ここに座ったり、食事もして・・白銀のMt.フッドを背に撮ったツーショットは今は色あせていますが、忘れられない風景です。

幼い娘は困らせてばかりで余裕がなかったなぁ。マイクとの結婚に最初は反対していた父も覚えたての英語を一生懸命に使い笑顔で良かったなぁ。異国の地へ嫁いだ娘との別れの日、母はどんな思いで帰国したのだろう・・・

 

周りを見れば、皆それぞれにスマートフォンで撮影をしている。たくさんの写真、音声付の動画が送られてくる。楽しそうに笑いあっている。歳月の長さをひしひしと感じました。

28年前、夫が2人の娘の小さな手を引いて歩いていた同じ場所を、今はそれぞれが家族と歩いている娘たち。この光景を私は一生忘れないでしょう。そして、この想い出は今後の私の人生を支えてくれると心から思いました。

(岩永淳子)

ルミナリエセレモニー2023

2023/09/18

皆さん こんにちは

RFL2023ルミナリエ点灯式に際し、話をさせて頂く事になりました、がん遺族の会佐賀・りんどうの会会員〇〇です。

 

りんどうの会に入会したのは、5年前に夫が胆嚢癌で他界したためでした。

私から見た夫は口下手で心配性でやや涙もろいけど、優しくて大きく包んでくれるような存在でした。魚釣りが好きであちこち行っていたようで、舟で島に渡してもらってたとか魚の話をよく聞かされていましたが、結婚後は一人で魚釣りに出かけて行ってしまうということもなく、私とのお出かけを一緒に楽しんでくれるような人でした。桜や紫陽花、コスモス等の季節毎の花見やホタル、花火大会とよく出かけました。温泉も好きで旅行にも行きました。携帯でよく道順を調べたり、検索してましたね。

 

気がつくと、旅行の行程表が綿密に経てられていて、途中の経由地までの所要時間や滞在時間を含め、温泉にゆっくりつかれるように考えられた到着時間等が記載されたメモ用紙が眼の前に出てくるのです。どれだけ楽しみにしているのかと、驚きでもありましたが、これが通常なのです。写真もたくさん撮っていて、多くの思い出が残されました。

 

その夫が癌になり、闘病したのは2年5ヶ月でした。発見時にはすでに転移をしており、手術はできず、抗癌剤治療がはじまりました。それだけでは不安で、陽子線治療や温熱療法、免役療法と鹿児島や福岡、久留米へも出かけて行きました。夫は「お前を一人残して行けんやろう」「元気になってまた一緒に出かけたい」と前向きに治療を受けていましたが、進行を抑える事はできませんでした。

 

夫がいない現実を受けとめられず、またこんなに辛く苦しい、きつい思いをさせるために治療を頑張っていた訳じゃないのに、あの時もっとああすれば良かったんじゃないかという後悔にも似た思いにとらわれ、先が見えなくなりました。自分一人では抱えきれない思いをりんどうの会では、吐き出す事ができました。

 

入会して初めて参加したRFLでは、いつもは限られた時間の中でしか話ができなかったメンバーの人達とゆっくりした時間の中で、話を聞いたり聞いてもらったり、皆で交代で会場を歩いたり、穏やかな時を過ごしました。日が暮れてルミナリエが灯る中、夜空を見上げ星を見ていると、自然と夫のことが思い出されます。「夫も一緒に歩いているだろうか…」

ふとよみがえるのは、あの旅行の行程表です。「ああ、夫のことだ、きっとむこうの世界を歩き回って調べてまわったいる。私のことを案内してくれるつもりじゃないかな」そう感じられました。

 

閉会後、ご好意で一輪のバラを頂きました。それは、この会場にも設置されているエンプティテーブルの上に置かれていたバラです。エンプティテーブルは、ここに来ることができなかった愛する人の席です。一輪のバラは、家族や友人の揺るぎない愛情と病と闘う強い意思の象徴です。持ち帰ったバラは、数日で枯れてしまうと思っていたのですが、予想に反し10日以上もの間、咲き続け、私の目を楽しませてくれました。見守ってくれていたように思います。

 

今でも、夫を思わない日はありませんが、お互いに土産話ができるようになって会いに行けるまで、夫には待っていてほしいと思っています。

ルミナリエ・セレモニー

2023/09/09

リレー・フォー・ライフ・ジャパン2023佐賀が

9月16日土曜日に、佐賀市どんどんどんの森公園で開催されます

そのご案内もかねて、佐賀新聞に投稿していましたが

今日の新聞に亭際していただきました。

初秋の夕陽が空を赤く染めて沈んでいく頃、会場いっぱいに並べられた、それぞれの思いを込めて描かれたルミナリエに火が灯ります。一斉にともされる火で、ルミナリエに描かれた文字や絵が、幻想的な彩を浮かび上がらせていく様は、がんによってもたらされた一人一人の悲しさ・勇気・思慕などをより一層浮き出させていきます。

ルミナリエには、がんで命を亡くした愛する人へのメッセージ。今がんと向き合っている方々の命への思い。そんな思いが込められています。それは赤裸々な言葉であったり、心癒される絵であったりと、人それぞれの形で私たちに問いかけてきます。

これはリレー・フォー・ライフで行われるセレモニーの一つです。1895年にアメリカで始まったがん征圧チャリティーイベント「リレー・フォー・ライフ」はやがて全世界に広がり、2015年に佐賀でも開催されるようになりました。「がんで苦しまない社会づくり」をテーマに、がん患者・家族・遺族・医療関係者・支援者等々が一堂に会して、命のタスキをつないでいきます。

この点灯式に先立って故人への思いを朗読するのが、ルミナリエ点灯セレモニーです。がん遺族の会佐賀「りんどうの会」の会員が朗読をします。以前のセレモニーで不思議な体験をしました。夫への思いを語り始めた遺族に寄り添うように、蝶々のような飛び方をする光が、朗読者の周りを照らしたのです。それは録画画像にもしっかりと記録されていました。故人もこの会場に来ているのでしょうね。

今年もまた、リレー・フォー・ライフが佐賀で開催される季節になりました。

第28回緩和医療学会学術大会報告

2023/07/05

発表風景を動画でアップしています

第28回緩和ケア学会学術大会から

2023/07/05

6月30日~7月1日に

神戸市国際展示場・国際会議場・ポートピアホテルで行われた

第28回日本緩和医療学会学術大会に参加してきました

医療者7,000人程度が集まって17会場で行われる大会に

がん関連の活動をしている市民活動グループが

PALという企画の中で、ポスター発表などを行ったり

ワークショップに参加して、市民活動の目線から提言を行うところです

私も、PALポスター発表を行ってきました。

(PAL=緩和医療の普及と啓発、緩和医療や患者・家族への支援をさせるための活動に活かしていただく事を目的にしている)

 

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