りんどうの会~がん患者遺族の会・佐賀~

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サロンin唐津市

2022/06/03

定例的に佐賀市で開催していましたサロンを

今回は、唐津市で開催することになりました

これは、りんどうの会10周年記念行事の一つで

今後、いろんな地域で開催するための第一歩とも思っています

妻の命日に

2022/01/28

今日で、11年目を迎えました

長かったような、短かったような

今でも、すぐそばにいるような感覚を覚えることがあります

今年を振り返って

2021/12/28

今年はりんどうの会にとっても、私(福島)にとっても記念すべき一年になりました

9月19日に9年目を迎えて、10年目という節目の年に入りました

また一昨年に佐賀県医療センター好生館緩和ケア研究会での発表など

そういった活動も併せて評価して頂いたのでしょう

佐賀県から「佐賀さいこう表彰(がん対策部門)」を受賞することが出来ました

立ち上げから一貫して「市民活動」として遺族に寄り添ってきたことを評価していただき

本当にうれしい表彰でした

この表彰を受けて、毎日新聞社から取材を受けて12月12日の記事になりました

来年は、10年目という節目の年になります

10年を記念して何かやりたいと思っていますが、まだ模索中です

いま、りんどうの会員の方々と一緒に歩んでいくことがライフワークになっています

これからも、がん遺族の方々の悲嘆回復に努めていきます

 

「喪失感と向き合って」毎日新聞

2021/12/12

今日(12月12日)の毎日新聞朝刊の佐賀県版のピープルに

私とりんどうの会が記事として紹介されています

写真の文字では読みづらいので、本文をここに掲載します

ちょっと、長文ですが読んでください
 
がん遺族会「りんどうの会」代表 福島龍一さん(69)=佐賀市 「喪失感と向き合って」 
 
 身近な人を失った悲しみから立ち直るには一定の過ぎゆく時間とともに喪失感と向き合うことが重要だという。
 
 佐賀市議だった2011年、妻京子さん(享年59)を大腸がんで亡くした。
1年ほどは酒に溺れたが、12年6月に「妻の生きた証を残したい」と妻の闘病生活や自身の心情をつづった手記「妻に捧(ささ)げる100文字で綴(つづ)るレクイエム」を自費出版。
同9月には知人の勧めもあり、県内唯一のがん遺族会「りんどうの会」を発足させ、代表を務めている。
今は佐賀市で月2回、県内外の会員17人がその時々の感情を吐露し、受け止め合って悲嘆を回復する「グリーフケア」をしている。
 
 07年10月に元気だった京子さんが体の不調を訴え、検査で大腸がんと告知された。
精密検査で肝臓に転移していることが分かり、強気の京子さんもショックを隠せなかったという。
同12月の約9時間に及ぶ大手術で大腸がんは摘出したが、肝臓に転移したがんの一部は取り除けず、抗がん剤などの治療が始まった。
しかし10年2月、「普通の生活がしたい」と抗がん剤治療を止めた。
食事や旅行も一緒に楽しめたが、次第に京子さんの体力は落ちていき、11年1月に帰らぬ人になった。
約3年2カ月に及ぶ闘病生活を懸命に支えて10年がたち、「悲しみは消えることはないが、悲しみの居場所ができて心が少し軽くなっている」と話した。
 
 近年はグリーフケアの認知度も高まってきた。
「ケアが必要な遺族はもっといるはず」と地道に活動するが、遺族会の活動を患者の家族や遺族に連絡する時期などに悩むことも多い。
自身の経験から、患者の家族は「患者の死を目の前に感じ、その瞬間や前後にも自分が残される悲しみや苦しみなどに揺れ動く」ことを知っている。
その時期のケアも必要だが「まだ亡くなっていない」と思う家族にも配慮しなければならないことに難しさを感じている。
また入会をためらう人に参加してもらうことも課題の一つだ。
 
 今年10月には、がんの早期発見や患者支援に携わる団体などをたたえる県の「佐賀さいこう表彰式」(がん対策部門)の企業・団体部門で表彰を受け、活動がしやすくなるだろうという。
会員との活動については「私自身が一番救われたかもしれない」としみじみと語り、年数回は福島さんの自宅でする会員とのホームパーティーも恒例になった。
会の名前にしたリンドウの花言葉は「あなたの悲しみに寄り添う」。
発足10年を迎える来年は記念行事や佐賀市以外でもグリーフケアをすることを目指している。
 
 

第4回佐賀さいこう表彰

2021/10/08

第4回佐賀さいこう表彰(がん対策部門)の団体表彰を受賞しました

表彰の授与式が今日(10月8日)の午後に

佐賀県庁来賓室にて行われました

これまでの、会員の皆様方との地道な活動が評価されたものと思います

ありがとうございました

 

 

 

 

 

がん遺族つどいの会のご案内

2021/06/18

8月7日土曜日に

佐賀メディカルセンタービル一階さん愛プラザで行われる

がん遺族つどいの会のご案内です

りんどうの会とのコラボになりますので

りんどうの会土曜日サロンは休会となります。

10年目の冬・その日そして

2021/01/28

2011年1月28日午後7時20分に妻は逝きました

 

その日の午後5時に病室に行った時

妻は既に言葉を発することはありませんでしたが

翌日には、子ども達や義兄、姪たちも佐賀に帰ってきて

妻との面会を予定していることを話すと、うなずいてくれました

しかし2時間後、妻は鬼籍の人になりました

たまたま一日早く帰ってきていた娘と私の二人で

その時を迎えることになりました

 

親せき、友人など関係者にも連絡を入れ

電話の先で泣き崩れる声が妻の存在の大きさを感じさせます

悲しみの中でも、葬儀社との打ち合わせなど、しなければならない作業で

あわただしく時間は過ぎていきました

 

翌日、天気が午後から崩れて

夕方から降り出した雪が、通夜の頃には積もって

一面の雪景色の中で、多くの方々に見送っていただきながら

静かに静かに、妻との別れは進んでいきました

 

その冬の日から10年という年月が流れました

(写真は、亡くなる半年前、最後の旅行の時の写真です)

生ききる

2021/01/22
今日の佐賀新聞に掲載していただきました
前回の「10年目の冬」で伝えきれなかった「生ききる」について書きました
  
友人から
『新聞記事読みました。本当にそうですね、私も妻と一緒に悔いがない人生を送りたいと思います。ありがとう😭
とメッセージをもらいました。ありがとう😭
  
原文
タイトル『生きること、生ききること』
   
人の命には限りがあります
いつか終焉の時を迎えるという事実を、私たちはどれだけ認識して生きているのでしょうか
必ず来る「死」にしっかりと向き合うことを避けて生きているのではないでしょうか
明日も今日と同じ一日が来る、同じ日々が繰り返されると思って生きています
「人はいつか必ず死ぬ」という言葉を聞きたくないという人もいるでしょう
しかし死は必ずやってきます
それは天寿を全うしても、事故や災害、がんや病気で理不尽に奪われていくことも
妻はガンで闘病生活を続けていましたが、「自分らしく生きていたい」と一切の治療を止める決心をしたときに、
「生きること」と「生ききること」の違いに気づかされました
私は今を生きています
それは生物学的に命があるということです
両親から授けられた命をつないでいっているということです
それは自分の意志ではありません
今を生きるという意志で生きているわけではありません
それに対して、生ききるということは自分の意志で生きていくとこです 
それはいつか来る死を受け入れ、限りある命を全うしようとする強い思いがそこには存在します 
私も妻の残りの人生を共に生きながら、彼女の強い思いを感じることが出来ました
その妻が私に残した言葉が今も心に響いています
「私は貴方によって生かされる」
妻は確かに生ききっていたと思います
 

がん遺族つどいの会

2020/12/19
佐賀県と佐賀県健康づくりの共催で開催された
がん遺族のつどいの会
佐賀県がん総合支援センター「さん愛プラザ」で行われました
 
りんどうの会からも私を含めて4名が参加しました
 
会の進行は、佐賀大学医学部の
臨床心理士の先生にお願いして
私も勉強させて頂きました
 
とっても良い雰囲気の中で
途中換気休憩を挟みながら2時間のつどいの会が進みました
その後に、ピアノとサキソフォーンのコラボ演奏まで企画されていて
素敵な時間を過ごすことができました
 
参加を予定されていた方がお一人欠席されましたが
こう言った遺族会の難しさもまた実感として感じました
 
グリーフケアを必要としている方々に寄り添いたい
悲しみの中にいる人と、その悲しみを共有して一緒に歩いて行きたい
 
りんどうの会はいつでも扉を開けています
貴方をお待ちしています
 
 
 
 
 
 
 
 
 

10年目の冬

2020/12/12
佐賀新聞のひろばに掲載していただきました(令和2年12月12日)
 
またこの季節が来ました。
10年前のその年、妻はがんと闘いながら闘病生活3年目の冬を迎えていました。
大腸がんで見つかった時には既に肝臓にまで転移していました。
 
すぐに手術が行われました。9時間近くに及ぶ大手術で、家族控室にいた他の家族の方は、一人また一人と帰って行く中、一人残された病院の窓から薄暗くなる冬の空を見ながら、手術が上手く行くようにと祈るばかりでした。
 
術後に肝臓に転移したがんの一部が取り除けなかったことを聞いた時には、
頭の中が真っ白になり何も考えることが出来ませんでした。
それでもがん細胞を叩くために抗がん剤など出来る限りの治療を試みました。セカンドオピニオンにも行きましたが、これといった手立ては見つかりませんでした。
 
術後から2年が過ぎた頃に、普通の生活がしたいと抗がん剤治療を止める決心をしました。
それはいつか来る死を受け入れることでした。悩みぬいたうえでの決意でした。
それでも、妻は抗がん剤の副作用から解放されて、東京や京都に旅行に行くこともできました。
私の父の葬儀から法要までしっかりと私を支えて努めてくれました。
 
秋風が吹くころ、次第に体調を崩すようになり、腫瘍マーカーも徐々に上がり好生館の緩和ケアに入院しました。
正月に一時帰宅したのが最後の家族団欒になり、40日間の入院生活の末、残された命を生ききって妻は逝きました。
10年前の冬は妻と過ごした最後の冬になりました。
 
独白
新聞の掲載では、文字数の関係でアンダーバーの部分が省略されていますが
本当は、個々の部分が一番言いたかったことでした
生きていたのではなく、生ききったのです
表現は似ていますが、全く異なる生き方です
 
#がん遺族 #グリーフケア 

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