りんどうの会~がん患者遺族の会・佐賀~

りんどうの広場 りんどうの広場

みんなの投稿

ホーム > みんなの投稿一覧 > カテゴリー

未分類

終末期鎮静(テレビを見て)

2016/01/20
今夜のNHK番組
クローズアップ現代をご覧になりましたか?
今夜のテーマは、終末期鎮静
 
私はケアギバーを経験し、遺族になった者です
妻が治療しないことを選択し、緩和ケアで終末を迎えたことから
がんをどう生きるのか=どう死ぬのか(死に方=生き方)
といったテーマに関心があります
 
がんとの戦い方にもいろんな考え方があって
どれが正しいとか、どれがベストだということはないと思います
 
医療行為を受け続けて、最後まで治療を受けるのも選択肢です
治療ができなくなっても延命を続けていくことも選択肢です
医療行為をやめて、自然体で最後を迎えるのも選択肢です
その中に、終末期鎮静を受けるか受けないかも選択肢です
 
しかし、今夜の在宅ホスピス会長のコメントは
どう受け取っても、終末期鎮静に否定的なコメントでした
患者の選択肢を最初から潰している発言に聞こえました
 
果たしてそれは医師として適切な言葉でしょうか
 
ザバイバーやケアギバーにどれほどの医学知識があるでしょうか
患者や家族に、全ての情報を正しく伝えて
患者が希望する医療を施すことが医師の務めではないでしょうか
それを最初から否定的に捉えているのでは、
何のために終末期鎮静という医療行為がそこにあるのでしょうか
 
医師のコメントを聞いていると
「鎮静をした後で悩んだ」だからもうしない
「遺族が後悔している」だからしないほうが良い
これは、どちらも医師の自己弁護の世界です
 
自分が後悔したくない
あるいは、遺族から文句を言われたくない
そういった、自己弁護が働いたからの言葉だと感じました
患者の苦しみを本当に理解していないから言える言葉です
 
見つめる対象は、サバイバーです
治療の選択をする最終決定者も基本はサバイバーです
(意識がはっきりしているうちに決めるべきです)
サバイバーの方に本当に寄り添った治療と看護が
医療関係者にも家族にも求められていると感じています
 
話はそれるかもしれませんが
痛みを緩和するために医療用モルヒネを使うことにさえ
まだまだ、一般の方々には誤解による抵抗があります
そういったこと一つ一つを正しく伝えることを
がん治療に携わる医療関係者にはお願いしたいと思います

生き方の選択

2016/01/12
遺族=愛する人を亡くした人
この辛い経験から、がんの終末期をどのように迎えるのかといった話をすることがあります。
 
がんに罹患していることが判明すると、その治療方法が検討され、外科的な処置や、放射線、抗がん剤などの治療が行われます。
しかし転移があったり、再発したりと、悪い方向に向かっていった場合には最後の時を覚悟しなければならなくなってきます。
この時にあなたはどう考えますか?
 
私自身はサバイバーではないので、実際に命がかかっているサバイバーの方々のお気持ちを推し量ることはできませんが
ケアギバーとして、一緒になってその判断をした経験はあります
最後の時をどう過ごすのか
 
ケアギバーもまた、愛する人をなくすことの苦しみを抱え、その後に悲しみと後悔の念を持ち続けて生きていかなくてはなりません。
不謹慎な言葉かもしれませんが、「残された者」として生きて行かなければならない悲しみは、「死んだほうが楽かもしれない」という思いを抱かずにはおられないほど心を苦しめます。
 
それは終末を迎える時の判断や行動に対する後悔の念でもあります。
最後の最後まで諦めることなく治療を続けるのか
緩和ケアで痛み(体だけでなく心も)を和らげて、その時を待つのか
この大きく二つの終末期・・・あなたはどう考えられますか?
 
答えに正解はありません
十人十色、千差万別と人の数だけ答えがあると思います
ただ、私の経験から言えることは
サバイバーと一緒になって、そのことを考えて欲しいということです。
涙を流しながら、死を考える恐怖を乗り越えることです
 
死の選択は、生きることの選択です
 
人は必ず死を迎える時がきます
「早すぎる死」、「天寿を全うした死」、「突然の死」
形は違っても、死なない人はいません
でも、死が訪れるその瞬間まで、人は生きています
そして、がんでの終末は生き方が選択ができるのです
 
生き方の選択
 
私は、妻と真剣にこのことを話しました。
人として美味しい者を食べ、行きたいところに行きたい
身体を痛めつけながら結局は最後を迎えるなんて嫌だ
そういう妻の声を思いを受け止めて、最後まで寄り添うことを覚悟して
そして治療をやめました
 
そして死を迎えた時
悲しみは深く深く心の中にありましたが、後悔の念はあまりありませんでした
私が、遺族の多くに見られる「後悔」といった感情が希薄なのは、きっと妻と真剣に話し合った結果の「死」だったからだと思います。
 
私は、緩和ケアによって最後は本当に助けていただいたと感謝しています。でも、それは私の選択です。
一つだけ言えるのは
サバイバーの方の意識がはっきりしている時に、このことを真剣に話し合って頂きたいということです。

今年で4年目に入ることができました

2015/12/31
今年で4年目に入ることができました
これも、多くの方々から支えていただいた賜物と心より感謝申し上げます
来年は、もっと多くの方に知っていただき
悲しみを抱えた方々がこのサロンで少しでも心が軽くなることができればと願っています
 
これからも引き続き活動を続けてまいります
来年も、よろしくお願いします

りんどうの会は・・

2015/11/18

りんどうの会は「がん遺族の会」です

参加を希望されている方
参加を迷っておられる方

ご連絡をください

ここには、
あなたの悲しみを分け合う仲間がいます
あなたの涙を理解している仲間がいます

一人で悲しまないでください

ここには貴方の座る椅子があります
ここには貴方を待っている人がいます

私も貴方を待っています

今夜のりんどうの会

2015/10/21

 

今夜のりんどうの会に

鹿児島で遺族会を主催されている椎屋さんが参加してくれました

ありがとうございます。

IMG_3860

新聞記事から

2015/10/20

 

今朝の朝日新聞で紹介していただきました。

 

Ssga0801

生き方の選択肢

2015/10/19
生き方の選択
 
今日はなんでこんなにがんに関わる話が続いたのだろう
同級生にがんの再発が見られて、緊急に入院したらしい・・という話が舞い込んできた。
厳しい状態を脱し、ここ数年は元気に食事会にも来ていたし
今年の旅行にも、泊まりだけで帰ったが参加してくれた
 
気のいい奴で、時々ドタキャンするのが悪い癖であったが
憎めないいい奴
近々にお見舞いに行こうと、数名の仲間と話しているが
話では、厳しいらしい
 
そして、Facebookで治療すべきかどうかの意見を求められた
自分のことなら治療という選択肢ない
緩和ケアを選択して、心豊かに死を迎える
それは諦めて死を迎えることではなく、生き方の選択
 
最後までどう生きるのかという、生き方の選択
決して治療することを否定しているわけではありません
治すことができるならそれは素晴らしいことです
治療を受けることも、もうちろん選択肢の一つです
 
あなたはどう選択されますか

リレー・フォー・ライフ(RFL)を終えて

2015/10/07

がんに負けない社会を作ろうというのが

対がん協会が掲げるスローガンであり
そこは、サバイバーと呼ばれるがん経験者を励まし
ケアギバーと呼ばれる家族や友人など、サバイバーを支援する方々を勇気付け
医療機関など、治療と啓発に関わる方々が集う場所

やはり、そういった感覚を消し去ることはできませんでした
遺族の居場所を作りたいという気持ちで参加して
貴族のブースも作り、リボンも準備しましたが
完璧な空振りに終わってしまいました

他の地域でのRFLに参加された方からも、そういった声が聞かれ
「サポートしてください」とも言われていましたが
私自身ではどうすることもできなかった・・というのが感想です

それでも、このイベントに実行委員として参加されている方々の気持ちや、思いを考えると
途中で投げ出すことはできないと、気持ちを切り替えて最後までやり通すことは出来ました

いつか、どこかで遺族としての経験が、誰かの役にたつのではないか、
抗がん剤治療を止めた時、死を覚悟し「人はいつしか誰でも死を迎える」という当たり前のことに気づき、
残された時間を生き切るためには、何をすればいいのかということを真剣に考えたあの辛い経験がきっと役にたつ
そういう思いでいました

そして、そして緩和ケアで辛い気持ちが救われたこと、
そこはただ単に安らかな死を迎えるだけの場所ではなく、生きていることを考え感じとっていく場所であることも
本当は伝えていきたかったのですが・・・

しかし、現にがんと闘っている人に「死」について話をすることは出来ません
必死に、真剣に「生きること」を願って戦っている方々に「死」を語ることはできません

このRFLに、緩和ケアのブースがないことも、その現われではないかと感じました(個人の感想です)

エンプティー・テーブルも一つ一つのものに意味があって、その全てがサバイバーを讃えています
その意味を書いた詩を読んでみるとよくわかります
テーブルはがんで亡くなった方々が帰ってくる場所であって
遺族が座る場所ではないことがよくわかります

そこが、何故HOPE(希望)なのか

それでも、ルミナリエには遺族の言葉が書き記されています
確かにそこには遺族の思いが込められています
その一つ一つを読んでいる時だけ、心の安らぎを覚えました

がんに関わった、関わっている全ての人に・・がスローガンでしたが、ちょっと限界を感じて、次回はない・・と思っていました
しかし何故か、来年も事務局として関わることになりました
遺族という視点ではなく、そういった熱い思いを持っている方々のサポーターとして関わっていきます

参加していただいた2000名の方々の多くが
「来年も参加します」と言っていただきました
そういった方々へ思いを伝えるためにも、来年もあの場所に帰っていきます
もう一度、この目でRFLを見つめてみます

そして、遺族としての関わりを違う視点から考えてみます

「私はどこに行けばいいのだろう」

2015/08/23

「私はどこに行けばいいのだろう」

 

りんどうの会を立ち上げてすぐのことです。

グリーフケアの研修からの帰り道

携帯電話に着信がありました、小樽の方からの電話でした

 

自分も最近遺族になった者である

何かしなければならないとは思っているのだが

気持ちだけが先走って、正直何も手につかない

サボっているわけではないが、体が動かない

 

そんな時に、りんどうの会の記事をインターネットで目にした

そういった会は小樽にもあるのだろうか

どこに行けば遺族が寄り添える場所があるのだろうか

そこに行けば私は元気になれるのだろうか

 

まだまだ経験の浅かった私は、その時本当にケアができたのでしょうか

お電話で30分ほどお話をしました

ほとんどは先方さんが一方的に話されます

 

家の中にいても、一歩外に出ても

そこには亡くなった方との思い出が満ち溢れていて

街角を曲がるたびに幻影をみて、ドキッとしてしまう

生きているはずがないんだと現実に引き戻され悲しみが襲ってくる

 

私は行くところがないんですよ

私はどこに行けばいいんでしょうね

 

パートナーを亡くされて、家には自分一人

考えることは亡くなった人のことばかり

まだ至る所にその人のものがある現実は

死というものを、頭では理解しても心が拒否しているのです

 

私も、近くのスーパーに買い物に行って

妻によく似た人の後ろ姿に、何度もドキッとしました

家に帰った時、ただいまと声をかけた後の静けさに心が砕けます

どこに行っても突きつけられる現実に打ちのめされます

 

どこに行けば、この悲しみから逃れられるのでしょうか

 

その方の心の叫びは、まさに自分自身が経験したもので

冷たい言い方ですが、あきらめることを受け入れるまで続きます

もうその人はいないんだ・・と心も納得するまでは続きます

 

また、この感覚は家族だけではなく

友人の方々にもその様な感覚があったことを後から聞きました

いつも妻と出会っていた場所に行くと、そこに妻がいる様な気がして

よく似た人を見ると、つい声をかけそうになったそうです

頑張れないよこれ以上!!

2015/08/17

8月9日に書いたことの続きになります。

りんどうの会も来月で3年を終えようとしています
いろんな方とお話をさせて頂きました
一回だけしかお話していない人もいます
電話だけで、とうとうお会いしなかった人もいます

この体験を分析してみようとかいうつもりはありませんが
この3年で感じたことをや、その時々の言葉を思い出しながら
この経験をまとめてみようと思います

一気にまとめていくということは難しいことだと思います
少しづつ、最初は取り止めのないことから
思い出し出し書いてみようと思っています

今日は、お電話でしかお話しませんでしたが
熊本の方で私とあまり年齢も変わらない感じで
夫を亡くされて、まだ日の浅い方の言葉でした

夫の家族や、自分の兄弟も、気を使ってくれている
そのことには感謝もしているしありがたいと思わねばならない
しかし、その人たちが発する言葉が「眩しすぎて」
自分は本当は会いたくない

おわかりになりますか・・・
「言葉が眩しすぎる」というこの意味を

兄弟や親族の方々は、その方を励まさねばならないと思っているのでしょう
その方々なりに言葉を選んでいるのかもしれませんが
多くの場合、次のような言葉をかけられます

「あなたが泣いていたら亡くなった方が悲しむよ」
そして必ずと言っていいほど
「悲しかろうが、頑張らんばよ」と続いていきます

何を頑張るのだろう!
これ以上はもう頑張りきらん!
もし、頑張ったら悲しみが消えるのだろうか!
励まそうとしてかけた言葉が、一番傷つけてくる

声をかける方は元気に明るい雰囲気を作ろうとしています
強く生きていってほしいという願望の表れでしょうね
でも、それが一番辛くのしかかってくるということを
どうかご理解いただきたいと思います

自分が自分に言う分には構わないのです
でも、その言葉を聞かされることに耐えきれない時があります
私も多くの方から「頑張れ」と言われて
自宅に帰ってから泣いたことは幾度となくありました

励まさないでください
(続く)

 
 

ページTOP

リーフレット

お問い合わせ

リーフレット

お問い合わせ

TOP