「私はどこに行けばいいのだろう」
りんどうの会を立ち上げてすぐのことです。
グリーフケアの研修からの帰り道
携帯電話に着信がありました、小樽の方からの電話でした
自分も最近遺族になった者である
何かしなければならないとは思っているのだが
気持ちだけが先走って、正直何も手につかない
サボっているわけではないが、体が動かない
そんな時に、りんどうの会の記事をインターネットで目にした
そういった会は小樽にもあるのだろうか
どこに行けば遺族が寄り添える場所があるのだろうか
そこに行けば私は元気になれるのだろうか
まだまだ経験の浅かった私は、その時本当にケアができたのでしょうか
お電話で30分ほどお話をしました
ほとんどは先方さんが一方的に話されます
家の中にいても、一歩外に出ても
そこには亡くなった方との思い出が満ち溢れていて
街角を曲がるたびに幻影をみて、ドキッとしてしまう
生きているはずがないんだと現実に引き戻され悲しみが襲ってくる
私は行くところがないんですよ
私はどこに行けばいいんでしょうね
パートナーを亡くされて、家には自分一人
考えることは亡くなった人のことばかり
まだ至る所にその人のものがある現実は
死というものを、頭では理解しても心が拒否しているのです
私も、近くのスーパーに買い物に行って
妻によく似た人の後ろ姿に、何度もドキッとしました
家に帰った時、ただいまと声をかけた後の静けさに心が砕けます
どこに行っても突きつけられる現実に打ちのめされます
どこに行けば、この悲しみから逃れられるのでしょうか
その方の心の叫びは、まさに自分自身が経験したもので
冷たい言い方ですが、あきらめることを受け入れるまで続きます
もうその人はいないんだ・・と心も納得するまでは続きます
また、この感覚は家族だけではなく
友人の方々にもその様な感覚があったことを後から聞きました
いつも妻と出会っていた場所に行くと、そこに妻がいる様な気がして
よく似た人を見ると、つい声をかけそうになったそうです