6月のイエローレシート・キャンペーン
2019/06/11夫との思いを胸にアメリカ
2019/03/132018年の年末から正月休暇はアメリカ、ワシントン州に住む妹の所へ行って来ました。
西海岸はオレゴン州、ポートランドに近くアメリカ人の夫と子どもと暮らして23年経ちます。
結婚式へは私、夫、娘達に父母と揃って成田空港から直行便で行きました。
妹は1〜2年に1回は帰国し会いに来てくれますが、私は訪れる機会がないまま、特に夫のマイケルとはもう、20年以上会ってなかった。
今回、23年振りに渡米する事になり、末娘が同行してくれました。
チケットの手配からフライトを組むのを娘に頼み、付いて行くだけの お上りさんでありました。
乗り継ぎのサンフランシスコ空港に降りたのは29日の夜でした。
クリスマス飾りが残る中、様々な人種が行き交いアメリカに来たのだなぁと実感が沸いてきました。
妹が待っている ポートランド空港まで2時間…期待と嬉しさで長旅の疲れや眠気は感じませんでした。
23年…様々な事がありました。
妹の夫マイケルは優しい気遣いが出来る陽気でフレンドリーなアメリカン。
結婚を申し込む時に私の家族、特に大正生まれの父には、理解を得ようと時間をかけ苦労した様です。
日本の夏は暑く苦手でも暫く滞在していたのを覚えています。
そんな父も結婚式では笑顔を見せて嬉しそうでした。
外国へ嫁いで行った娘をどんなに案じていたか、でも病に伏せてしまい15年前に79歳で生涯を閉じました。
言葉少なかった父ですが、子を想う気持ちは一緒だったと思います。
私の夫も旅立ってから今年9月で10年が経ちます。
闘病は5年でしたから夫に向き合う事が多く、娘達には寂しい思いをさせたのではないかと今でも申し訳ない気持ちになります。
母は今年の9月で88歳 米寿を迎えます。
高齢となり介護を必要としていますが穏やかに暮らしています。
81歳まで重いリュックを背負い独り、妹の所へ行っていた姿が忘れられない。
遠い地へ嫁いで行った我が子に会いたい一心だったと思います。
今になって私はその気持ちがよく分かります。
そんな母が「アメリカへ行って来んさい」と、背中を押してくれました。
親類や友人、猫シッターのおかげで私は妹とマイケルの家へ23年振りに…
そんな感慨に耽っていました。
「まもなくポートランド空港に到着します」とアナウンスがあり…急に胸が熱く いっぱいになってきて、涙が込み上げてきては堪え切れなくなりました。
これまでの様々な事が思い出されて来て…隣に夫が居ない寂しさ、一緒にマイケルと再会したかった。
当時、泣いて困らせた娘は頼もしく成長した。
再会が叶わなくなったアメリカの親類の顔も浮かんで来て…心の奥に閉まっていた想いが溢れてきました。
ふと、窓際にいた女性と目が合いました。
女性は私を見つめたまま とても優しい微笑みを返してくれました。
まるで私の気持ちを察してくれているかの様な表情で思わず胸が熱くなり…また、女性の懐には小さな犬が抱かれていたのです。
フライトの間 鳴き声もなく安心しきって甘えていました。
大らかなアメリカという国、人を肌で感じたひと時でした。
そして…到着ゲートが見えてくると 妹、マイケル、子ども達全員が来てくれていて、手を大きく振っている姿がありました。
涙、涙の再会でした。本当に来て良かった!思い切って来て良かった!
感謝の気持ちでいっぱいでした。
平成31年3月 岩永淳子
嬉しい電話
2019/02/04とっても嬉しい電話をいただきました
私のとっても大切な友人の一人が一昨年からがんと闘っていました
一度は摘出手術で復帰していましたが
再発が認められて、抗がん剤等の治療を進めていました
辛く厳しい時間だったと思います
それを支える奥様も・・・・
「検査の結果、がんが消えていました」
「よかった、頑張ったね」
電話の向こうにいる友人の顔が浮かびました
よかった、本当に良かった
ほんとうによく頑張ってきたね
今度一緒に飲もう
8年目の命日に
2019/01/28妻が逝ってから8年の月日が過ぎていきました
8年前、夕方5時に病室に行って声をかけると軽くうなずいてくれた妻が、
その2時間後に逝ってしまうとは、思いもよらないことでした
お通夜は、午後から降り出した雪がしっかりと積もり一面の雪景色
そんな中にも関わらず、遠方からも多くの方がお参りに来てくれました
葬式の日は、朝から天気が良く
出棺のころには、ぽかぽかと温かい日差しが照っていました
それから1年後、一周忌の日には、愛犬のユリが気がふれたように騒いで
家を飛び出して大けがをして、入院すると珍事も起きました
いろんな思い出が詰まっている1月28日です
「命」について
2018/10/29