「喪失感と向き合って」毎日新聞
2021/12/12今日(12月12日)の毎日新聞朝刊の佐賀県版のピープルに
私とりんどうの会が記事として紹介されています
写真の文字では読みづらいので、本文をここに掲載します
今日(12月12日)の毎日新聞朝刊の佐賀県版のピープルに
私とりんどうの会が記事として紹介されています
写真の文字では読みづらいので、本文をここに掲載します
2011年1月28日午後7時20分に妻は逝きました
その日の午後5時に病室に行った時
妻は既に言葉を発することはありませんでしたが
翌日には、子ども達や義兄、姪たちも佐賀に帰ってきて
妻との面会を予定していることを話すと、うなずいてくれました
しかし2時間後、妻は鬼籍の人になりました
たまたま一日早く帰ってきていた娘と私の二人で
その時を迎えることになりました
親せき、友人など関係者にも連絡を入れ
電話の先で泣き崩れる声が妻の存在の大きさを感じさせます
悲しみの中でも、葬儀社との打ち合わせなど、しなければならない作業で
あわただしく時間は過ぎていきました
翌日、天気が午後から崩れて
夕方から降り出した雪が、通夜の頃には積もって
一面の雪景色の中で、多くの方々に見送っていただきながら
静かに静かに、妻との別れは進んでいきました
その冬の日から10年という年月が流れました
(写真は、亡くなる半年前、最後の旅行の時の写真です)
令和2年2月19日
佐賀県医療センター好生館・緩和ケア症例検討会から
遺族の体験発表 ④
私の夫は、2018年4月30日に胆のうがんで亡くなりました。がんと診断される2~3年前くらいより、腺筋症疑いと言われ、半年に1回CTを撮っていました。全く動く気配はなかったのですが、その半年の間に突然進行し始め、転移をし、手術することは出来ませんでした。
私は夫の前にも両親を二人ともがんで亡くしており、がんの怖さというものを知っていました。治療は苦痛を伴うものばかりで、闘うつもりがなくても、つらい闘病生活になることも理解したうえで、ただただがんに抗ってやろう、抵抗してやろうと思いやってきたように思います。
主治医の先生にお願いして通常の抗がん剤治療、放射線治療に加えて、免疫療法、陽子線治療、温熱療法等、考え付く限りの治療をさせていただきました。最後に入院したのは2月の終わり、ちょうど今ぐらいの頃で、まだ寒い時期でした。
自宅に帰れなくなるとは考えてもいなかったのですが、その重い状況に職場に無理を言って休みをもらい付き添いをしました。ただ眠っている姿を見続けるだけのこともあれば、夜中に何度も起こされ眠れない時もあり、夫が食事を食べれなくなると一緒に食事がのどを通らなくなりました。病院という閉ざされた空間で過ごす中でも時間は流れ、桜が咲いて、散っていきました。世の中は暖かく明るくなっていっているのに、季節にも取り残されていっているような気持になりました。
そんな頃、臨床心理士さんや緩和ケアスタッフの方々が優しく声をかけてくださっていたのですが、それらに対し、「あなたには、私の気持ちはわからないでしょう!!」という気持ちになり、同じ経験をした人と話がしたいと思うようになっていきました。
りんどうの会については、当時私の姉妹が調べてくれて、すぐにその存在を知りました。ですが、すぐに足を運ぶことは出来ませんでした。理解はしていても、大切な人を失うということは、想像以上に重く、こんなに辛いことがあるのかと思うほどに、寝て起きても覚めない夢のような、夫のいない現実を受け入れられず、どうやって生きて行ってよいのか分からなくなりました。夫の面影を追わずにはいられず、逆に思い出のありすぎる自宅には帰ることがつらくなり、苦しくて顔を上げられず、下ばかり向いていたように思います。意を決してようやく会に参加したのは、四十九日が過ぎた頃でした。
りんどうの会は治療機関ではないので、1回参加したからといって直ぐに気持ちが癒される、落ち着くというものではありません。同じがん患者の遺族といっても、がんの種類や取り巻く環境も、全て違う人たちの集まりです。静かに話を聞くだけ、慰めや励ましの言葉もないです。共通することは、同じ辛い経験をしたということ、辛い思いを抱えているということです。それだけで、自然と話が出てきます。気持ちを共有することが出来ます。それまでは全く知らない人たちでした。イベント等に一緒に参加し、ゆっくり時間をかけて話をしていくことで、これ以上はない仲間になっていきました。
私の気持ちの中でも少しづつ変化があり、入院中の辛い時期しか思い出せずに泣いてばかりだったのですが、ある日星空を見上げながら歩いている時に、ふと「あの人もあの世で一緒に歩いているのかなぁ」と思いました。まめな人でしたから、旅行など出かける時はいつも綿密に計画をたて、メモを書き出していました。そんなことを思いだし、それに思い至った時にふいに「あの人のことだからあり得る」と現実味を帯びて感じるようになりました。今はあの世を歩き回って下調べをしているのではないか。私があの世に行った時に道案内が出来るように・・。それならば私もあの世で再会した時に、お互いにどうだったよと話が出来るようにしたいと思いました。
それから徐々に外に目を向けられるようになっていったように思います。
初めの1年はどうしても前の年の出来事と比べてしまい辛く思うこともありました。車で一人になった時、テレビに映る仲睦まじい老夫婦を見た時等涙が出る時もありました。ですが、夫の写真に囲まれて生活する中で、私に見せてくれていたのはいつも笑顔だったんだなと感じられるようになっています。
今は、りんどうの会は、私にとって唯一の楽しみとなっています。