りんどうの会~がん患者遺族の会・佐賀~

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振り返れば君は居ない

2016/09/15

愛する人を亡くした直後からしばらくの間は
亡くなったことを心が受け入れてくれない間は
ふっとした瞬間にその人がいるような感覚に陥って
「ねぇ!」って声をかけそうになり
次の瞬間に、もういないことに気づいて悲しくなる
 
街の中であったことを
話してあげたら喜ぶだろうな・・って思って
急いで家に帰って玄関を開けたときに
その静けさに現実を感じてしまう
 
食事をするとき、買い物をするとき
つい「どれがいいかな」って聞こうとして
雑踏の中で孤独を感じてしまう
 
街角で先を行く人がそのように見えたり
玄関の音に「おかえり」と言いそうになったり
心があきらめるまでの時間
悲しみが波のように押し寄せてくる
 
悲しみから先に進むことは
居なくなったことを受け入れること
あきらめること、あきらめを受け入れること
そこから次の一歩が始まります
 
このサロンは、そういった一歩のお手伝いをします

城山さんの詩「妻」

2016/08/18
昨日の定例サロンのとき
会員のみなさまがたを待っているときに
城山三郎さんの詩が目にとまりました
 
「そうか、もう君はいないんだ」遺稿がテーマになったときに
見つけ出した詩です
 
「妻」
夜更け 目覚めると
枕もとで何かが動いている
小さく呟くような音を立てて
何者かと思えば時計の秒針
律儀に飽きることなく動く
その律儀さが不気味である
 
寝返りをうつと音は消えた
しばらくして穏やかな寝息が聞こえる
小さく透明な波が押し寄せては引く音
これも律儀だが冷たくも不気味ではない
起きている間はいろいろあるが
眠れば時計より静か
 
「おい」と声をかけようとしてやめる
五十億の中でただ一人「おい」と呼べるお前
律儀に寝息を続けてくれなくては困る
(終)
 
遺族となった人にとってこの詩は胸に迫るものがあります
静かに寝ているときだけが
がんからも、がんの恐怖からも解き放たれる時間
このままこの時間が続いてくれることを
きっと誰もが感じていたのではないでしょうか
 
しかし、時は残酷に時間を刻み
やがて、その時を迎えることになるのです
そしてその悲しみを乗り越えようと
私たちのサロンはあります

りんどうの会の役割

2016/06/11

りんどうの会の役割
 
それはグリーフケア
それもガンで身近な人を失った悲しみを癒すこと
そこの特化してサロンを始めましたが
時間の進行につれて卒業される方も出てきます
 
ご自分がグリーフケアを学んでいきたいという方や
このサロンで話をすることが好きな方は残られます
ただ、新しい方の入会がないと
本来のサロンの意味合いが少し変化してきます
 
積極的な会員募集ができない特殊な会である以上は
最初から覚悟して進めてきたのですが
ここに来て、グリーフケアを進める難しさを感じています
 
月に二回の開催も、少し考え直さないといけないのかなと
まだまだ試行錯誤の状態です

サロンへどうぞ

2016/05/30

最近、コメントを書き込むことが停滞中です
自己分析をしてみました
僕自身が、このサロンで癒された結果ではないでしょうか
 
内に抱え込んでいた悲しみが
自分自身がサロンを運営する中で癒されていた
まさしく、セルフ・ケアを実践したのでしょうか
 
悲しみは、逃がしてあげないと
いつまでも貴方の心の中に住み着いています
亡くなった方との思い出は大切にしながら
自分自身の悲しみとは決別することが大切です
 
私たちに話してください
貴方の悲しみを
・・・きっと飛び越えることができます

チームりんどう

2016/04/25
リレー・フォー・ライフの活動基本の中に「遺族」というカテゴリーは入っていませんが、遺族は、その時にはケアギバーでアタという事実と、その会場の中には多くの遺族が存在しています
 
エンプティー・テーブルは、がんで亡くなった方々が帰ってくる場所であり、ルミナリエに書かれたメッセージを読んでみると、がんで亡くなった方へのメッセージがいかに多いか
 
その場所には、悲しみを内に抱えた方々が必ずいます
 
そこで、今年のリレー・フォー・ライフ・ジャパン佐賀において「グリーフ・ケア」ブースを私たちりんどうの会で担当したいという意見が寄せられています
 
遺族には遺族にしか理解してもらえない「悲しみ」や「後悔の念」があり、それを吐き出せる場所は必ず必要です
グリーフ・ケアをあの場所でどうのように展開すればいいのかまだ試行錯誤の状態ですが、そこを目指していきたいと思います
 
また、24時間ウォークにも、「チームりんどう」として参加したいと思います

今、思い返して  

2016/03/17

平成23年1月28日午後7時20分
その時間に妻は息を引き取りました
病室には医師と看護師が
「まだ声は聞こえると思うので語りかけてください」
 
しかし、言葉も出なければ涙も出ませんでした
何故だったのだろうと、ずっと思っていました
昨夜、突然にその答えに至りました
 
医師と看護師が同席している病室で
言ってみれば他人の目の前では出来ない事だったのです
少しの時間でいいので、家族だけにしてもらっていれば
そこに居た僕と娘の言葉は妻に届いたと思います
 
マニュアル通りの対応かもしれませんが
病院関係者の方々にお願いしたい
 
最期の瞬間、看取りの瞬間
少しだけ見送るための家族の時間を作っていただきたい
最初の涙を流す時間を作って欲しい
それが家族、いいやもう遺族となった者への寄り添いです
 
心のある最期の時間が本当は欲しかった

 

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