りんどうの会~がん患者遺族の会・佐賀~

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メモリアル・リング

2014/10/08

拙著「妻に捧げる100文字で綴るレクイエム」の103ページ 「メモリアル・リング」で書いていますが、亡くなった妻と私の2つの結婚指輪を一つにしたものを、左手の中指にしてきました。

 

最近、その左手中指の関節を痛めて、指輪を外していました。その時ふっと思ったのですが、炊事やいろんな作業をするときに気になる事があったり、ちょっと身体がむくんだりした時に痛くなったりしていました。

 

そこで、今回ネックチェーンを新調して首にかける事にしました。ペンダントの様な雰囲気になっています。指輪そのものを加工しているわけではないので、何時でも指輪に戻す事が出来ますが、当分は首にかけておこうと思っています。

 

ついでに、ぼかし加工を施していたのを、ピカピカに磨いてもらいました。

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10月のサロンのご案内

2014/10/02

今月のサロンは
10月15日 水曜日 午後7時からです。

会場は白山の佐賀商工ビルになります。
7階F会議室を予約していますので、お気軽にお出かけ下さい。

りんどうの会は、セルフケアの会です。
参加資格は、ガンで身近な方を亡くされた方々です。
ガンの種類や、亡くなられた方との関係は問いません。

先ずは、お電話かメールでお知らせください。

まる2年を迎えました

2014/09/18

9月17日は、開始2年目の節目の会でした

平成24年9月19日にこの会を立ち上げ

参加してくれる方がいるのだろうか、会は運営出来るのだろうか

そんな不安を抱きながら、幾多の方々のご指導とご支援を頂いて

「石の上にも3年」という思いで出発しました

 

昨年は、立ち上げ一周年ということで取材もお願いしましたが

今年は、特にイベントも何も無く何時の定例サロンを行ないましたが

参加者が始めて10名を越えました

そして、一番嬉しかったのは

参加して頂いている方々から「この会があって良かった」と言って頂いた事です

 

来月から、3年目を目指して行きますが、

ガンで親しい人を失ったという悲しみを抱いている方々の

グリーフケア(悲嘆回復)に向けて

これからも出来る限りのことをして行きたいと思っています

 

その中で、自分自身も癒されている事を感じています

そうか、もう君はいないのか

2014/09/10

昨夜、何気なくつけたテレビで城山三郎さんの遺稿をもとに制作された「そうか、もう君はいないのか」が放映されていました。
私自身の経験とも重なってしまい、涙が止まりませんでした。



それぞれのシーンが心に響き、その時々の妻の笑顔と重なります
そして、その思い出を文字として書き残す最後のシーンで
「・・君が列車に乗り遅れた駅は何処だったっけ・・」
と、つい問いかけて部屋を見回してフッと漏らした言葉
「そうか、もう君はいないのか」



私も、何回何十回となくこの感覚に襲われてきました
特に、「妻に捧げる・・」を書いている時には
何時もの場所に妻がいるような錯覚がありました
その度に、「いない」ことに気づかされる辛さは、経験した者で無ければ判らないかもしれません

娘さんの台詞で「お母さんは、お父さんの心の中に・・」という台詞がありましたが
「いない」のです、あるのは思い出だけです
何処かで私の事を見ているかもしれませんが、それは心の中ではなく「何処か」なのです

これを書いている今も、涙がにじんでしまいました
私は、とてもとても泣き虫です

ラジオ出演で「りんどうの会」を紹介「YouTube」

2014/09/01

 

佐賀市のラジオ局「えびすFM」にりんどうの会の会長(福島龍一)が出演した模様をご紹介致します。

 

会長自らの経験やりんどうの会を発足した理由を語られています。

 

実際の収録音声をYouTubeにてご紹介致します。

 

※再生は下記の画像をクリックしてください。

 

RYU1

 

心の中に生きている

2014/08/31

「心の中に生きている」

貴方の大切な人は、貴方の心の中で生きているって言いますね
本当に貴方の心の中で生きていますか

私の心の中には妻と過ごした30年足らずの時間と思い出が、色あせる事無く残っています
もちろん父の事や祖父母の事も記憶のなかにありますが
やはり、一番多く思い出されるのは妻の事です

その事を生きていると言うのでしょうか
「忘れさえしなければ、その人は生きているよ」と言う事もあります

最近判らなくなって来ました

今でも時々仏壇や写真に向かって問いかける事があります
自分がちょっと判断に迷ったり、何かを決断しようとする時に
「これでいいよね」と話しかける事があります
そんな事を持って、「生きている」と言うのでしょうか

妻は、亡くなる半年ほど前に
「私は、貴方によって生かされる」と言いました
ポツリと言いました、笑顔で言いました、私を見ながら言いました

医者でもなく、病気を治せる訳でもなく
ただただ傍にいるだけで、何も出来ない、してあげられない私にです
「生かされる」とは何なのか・・・今も自問自答しています

妻は本当に私のなかに生きているのでしょうか
それは、ただの思い出では無いのでしょうか

写真のなかで笑っている妻は、何も答えてくれません

 

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