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10月 26th, 2017年

五周年記念講演から(第6回)

2017/10/26

第6回 (体験談 JIさん)

 

 永遠の別れは、秋風が吹く9月の終わりでした。副腎ガンと闘った夫の5年間を先ずは話したいと思います。

 腎臓の横にある副腎という小さな臓器のガンと診断された時は、大きくなっており直ぐに手術となりました。抗がん剤治療後は仕事にも復帰し、以前の生活が戻ったかのようでした。

 3年が過ぎた頃、転移を告げられました。セカンドオピニオンをしたいと、九州がんセンターへ。二度目の手術があり、また抗がん剤投与、初めて髪の毛が全て抜けました。

 1年近く経った頃、肝臓と後腹膜にも転移があると再び告知。自分でも予後が悪いガンの様だと言っていました。情報が欲しいと同じガンで治療している人と話ができたらと調べ、パソコンの前にいつも座っていました。肝臓にできたガンは治療が難しいと告げられた時は退院をしたいと言っていました。

 紹介状とフィルムを持ち上京。東大病院へ診断を仰ぐことになりました。「遠いところからよく来たね。自宅から通いながら治療ができる病院がありますよ。頑張ってください」と励まされた時の夫の嬉しそうな表情、姿は今でも忘れることはありません。それから、久留米・熊本での病院で治療をしていただき、自宅での生活も増え、旅行もできました。カメラを持ち、自然の中を散策しては花や景色を撮っていました。

 抗がん剤で味覚が変わり、食べることが難しくなった時は、嘆くのでもなく食材を買い求め、調味料を工夫してよく台所に立っていました。「美味しくなった、これで食べられる」と家族のぶんまで作ってくれ嬉しそうでした。

 そんな夫に身体のきつい状態やガンの進行程度、副作用の症状など話すことすらためらわれ、その先のことを考えても封印していた様に思います。病気になる前は、地域の事業にも参加し、スポーツ少年団にも力を入れていたので、子ども達に会えず残念そうでした。

 一部の方には事情を打ち明けていましたが、近隣の方々にはオープンに出来なかった事が悔やまれます。リレー・フォー・ライフというガン患者さんのイベントが福岡で初めて行われると新聞の記事を見ながら、ここなら話ができる、一緒に行けば良かったと、これも悔やまれます。

 

 その日は、自宅でコーヒーを煎れたり朝食をいつもの様に摂っていましたが、腹痛を訴え急変しましたので、入院となりました。一週間後でした。会話は出来て、よく汲みに行っていた水を飲み美味しいと言ったり、退院したらまた行こうと話しました。亡くなる日の前日も「また明日」と家族で帰宅した翌朝、病院からの連絡で駆けつけた時は、会話はできませんでした。

 とうとう来てしまった・・今日なのだ・・と。それまで封印していたものが溢れ出て、もっと話をしておけば良かった、ちゃんと話をしておけば良かった、会いたい人もいただろう、会わせたい人もいた・・悔しかったのは夫だったでしょう。

 亡くしてしまったのち、私は想像もしなかった心境に動揺し、この世にこんな苦しみがあるのか、立ち直ることが出来るのだろうか・・と誰にも言えず悪いことばかりを考えていました。

 心理本や精神医学の書籍コーナーで自分の今の気持ちと同じものはないかと読み漁ったり、他の方の苦しみと自分のとを比べたりと全く気持ちは落ち着きませんでした。

 りんどうの会のドアを開けるのも勇気がいりました。抑えていた溜まっていた気持ちをスムーズに伝えられるのか・・・。でもそこは同じ体験をし、同じ悲しみを一番に理解してもらえる場所でした。前もって話すことを考えなくても、消化不良の様に溜まっていた気持ちが溢れ出て、他の人の聞いていても、うなづくことも多く、少しは理解ができている気がします。7回忌が過ぎ、今年で8年となりました。当時は大学生と高校生だった二人の娘も20代後半となりました。そして長女は今月の中頃には母になります。「お父さんの命日に生まれたら嬉しいな」と言っています。

 初孫を抱いて欲しかた、良きおじいちゃんになったであろう夫を想う時、また込み上げてくるものがありますが・・・周りの方々のおかげでやっとここまで来ることができ、夫の分まで未来を向いていこうと思っております。