りんどうの会~がん患者遺族の会・佐賀~

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2015年7月

2015

私の一冊「自分を生ききる」

2015/07/14

妻が抗がん剤治療をやめる時に読んだ本です。
「死」とは・・「死ぬこと」とは
深く考えさせられ、そして「死」を怖がらない心を持つことができました。
「人はいつか死ぬ」それは、ガンであろうとなかろうと
その考えに至ることが、抗がん剤治療を止めることの背中を押してくれました。

 

本の解説です

 

がんになった方のおよそ半数が数年で命を落としています。まさに国民病です。しかし、 現代の日本は「自分は死なない」ということが前提の社会です。「死」は日常にも、人々の意識のなかにもありません。このことが、延命中心のがん医療につながっています。 

本書では、日本人のからだと精神のあり方に迫ってきた、養老孟司東大医学部名誉教授と、養老氏の東大医学部の教え子で、東大病院でがん治療と緩和ケアを実践している中川恵一医師が、日本人とその社会のあり方、日本のがん治療の問題点を多面的に語ります。すべての日本人にとって、もっとも大事な、「人生、社会、医療」という大きなテーマを、深く鋭く、しかし、わかりやすく、ときにユーモアをまじえ、分析しています。

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人と人との出逢いは、偶然それとも必然

2015/07/07

偶然と必然
貴方はどちらを信じますか?

 

人と人との出逢いは、偶然でしょうか?必然でしょうか?

 

小学校・中学校の同級生は、同じ年に産まれて、同じ地域に住んでいただけですか?

 

受験と言う門をくぐり抜ける高等学校。全国レベルで交差する大学校。まして浪人を経験することで、年齢による並びも変化します。

 

社会人。公務員、自営業、民間企業。営業、事務。本社、支店、営業所。正規雇用、臨時雇用、管理職。年齢も出身地も学歴もスクランブル。

 

結婚。配偶者家族親族友人。地域社会、PTA。

 

これら全てが、偶然の産物だと言えるのでしょうか?

 

転生輪廻を称える人の中には、人が持つ霊は、前世でも現世でも、そして来世でも呼び合って近くにいる。と言う人もいました。

 

妻を亡くしてからの出逢いは、殊更に、その事を考えてしまいます。

 

総てが必然とは言えないかもしれませんが、必然的な出逢いは必ずあると信じたい私です。

月命日に

2015/06/28

今日は、妻の月命日
あの日から、4年5ヶ月という時間が流れました

普段は全く見ることのない葬儀・初盆に関する記録
たくさんの数字が書き込まれた無機質な書類のなかには
発病からの血液検査の結果表も含まれていました

死亡診断書、弔問してただいた方々の名簿・・・・
その中に、数枚のお手紙を見ることができました

遠方で弔問に来れなかったことに加えて
私に対する心遣いの言葉に熱いものがこみ上げてきます
そして、最後の出棺前の写真もありました

これらの記録もどこかで整理しておかねばなりませんが
なんで、いつも近くにあって見ることのなかった箱を開けたのだろうか

誕生日

2015/06/12

今日は、妻の64回目の誕生日です
結婚記念日(6日)と誕生日が一週間と空いていないから
毎年、二つ合わせてお祝いしていたので
「ずるいな〜」とよく言われていたものでした

64回目の誕生日でも、妻は59歳
何年経ったても、そこにいるのは59歳の妻
ずるいよな〜、貴女は歳をとらないのだから
僕は今年で63歳になってしまうんだよ

今日は、何かいいことがあるかな

ルミナリエとエンプティーテーブル

2015/05/29

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ルミナリエとエンプティーテーブル

リレー・フォー・ライフはがん征圧を目標にしているので、大会イベントの大きな流れは、サバイバーと呼ばれるがん患者及びがん経験者の方々やその家族を勇気付けるといった性格を持ちます。

しかし、その中に夕方から夜・・特に薄暮にかけて行われるルミナリエやエンプティーテーブルには、がんで亡くなった方々やその遺族といった位置付けも設定されています。

写真は今年の鹿児島大会での写真で、撮影時間は夜明け前の時間なのですが、雰囲気は良く出ていると思います

ルミナリエは、サバイバー、ケアギバー(家族や支援者)、遺族が、それぞれの思いを短い言葉に託して、特殊な紙でできた袋に書き込ます。

その袋にローソクを灯して一晩中歩くコースを照らしてくれます。「がんに負けないぞ」とか「お母さん、僕は元気ですよ」とか、涙が出そうな言葉が多く綴られています。

もう一つのエンプティーテーブルは、がんで命を亡くした方々が帰ってくる場所です。
白いテーブルに白い椅子、白いテーブルクロスに、花が一輪とワイングラスにローソクの灯りです。

そこには、それぞれの人が思い思いに故人を思い浮かべています。
昨年は一緒にリレー・フォー・ライフで歩いた方が今年は参加できなかった・・そんな思いや、遺族の思い、残された者が心に描く「ひと」への思いがそこに集積していきます。

私もまた、鹿児島での時間では、とうとう一緒に来ることができなかった妻へ語りかけました。
また、そういった思いを共有できる、新しい人との出会いもありました。
そこは、ただ単に悲しみだけを思い起こすのではなく、その悲しみを乗り越えて生きていく勇気や元気そして仲間がいることを教えてくれる、素敵な時間と空間です。

セカンドオピニオン

2015/05/19

先日書き込んでいました、友人の奥様の乳がんの件です

 

先週に入院・手術と進み、手術後も良好との連絡をいただきました。少しほっとしています。

しかし、ガンという病気の特殊性なのか、気持ちの上で色々とあったようです。

特に、セカンドオピニオンという制度は患者の権利と言いながらも、なかなかに難しいようです。

 

私やその友人の共通の仲間には医療関係者も多く、その仲間の勧めで、セカンドオピニオンを活用したそうです

結果は、最初の医師の所見と同じで、元の病院で手術をすることに収まったのですが

なんとなく、気持ちの問題かもしれませんが、最初の医師の態度が冷たくなったように感じられて

手術を受けることが、とても不安で辛くなったそうです

 

私がよく存じ上げている、相談支援センターの方にお願いして話を聞いてもらいました

最初は不安だらけで涙声だった奥様が、相談後は明るくなられて、しっかりとした気持ちを持たれたということです

制度としては確立されてきていても、担当医師や医療機関の考え方、また利用しようとする患者側など

まだまだ問題は多く残っているようです。

 

妻も、抗がん剤治療を止めた後に一度だけセカンドオピニオンを受けました。

熊本にある放射線治療の専門病院です。

結果は、転移性のガンなので治療はできないという答えでした

一縷の望みを持ちながらも、結果として最後通告を受けたようなショックを感じましたが

今思えば、最初の手術の前にセカンドオピニオンを受けておけば、もしかしたら何かが違ったのかなと思うこともあります。

 

その中でも、患者側に立って相談を受けていただく支援センターの方の存在は大きいですね。

改めて妻のこと

2015/05/07

自分の人生を振り返ってみて思ったことがあります
妻の存在が如何に大きく僕の人生に影響を与えていたのかと

妻と妻の父の誘いで、宝生流のお謡いを初めて、舞囃子まで舞うことができました
息子をボーイスカウトに入団させたのも妻の提言がきっかけ、その結果、自分がリーダーになって、子ども達を指導するとは思ってもみませんでした。
議員となった私を支えてくれていたのも妻です

そして、妻の逝去がきっかけとなって、立ち上げた、この「りんどうの会」
強く僕の背中を押してくれた方やサポートしてくれた方との改めての心のつながりや、会を通して出会った方々。
そして、それが縁で参加した、リレー・フォー・ライフ
ここでも、新たな出会いをたくさん頂いています

新たな方々との出会いは、まさに妻が残したプログラムではないのか、などと思ってしまいます
いろんな場面で「奥さんは・・・」と、今でも妻のことを話して頂いていることを思ってみても、妻の存在の大きさを今更ながらに感じています

この先もいろんな方と出会うことだと思いますし、今までに出会った方々と新たな展開があったとしても、それもまた妻の意思なのかなと思ってしまいます

友人からの電話

2015/04/27

友人から電話がありました

奥様が乳がんと診断されて連休明けに手術をすると言うことでした
「当時のお前の気持ちがよく解った」と言っていましたが、心の動揺は隠せようもなく
「お前がしっかりしておかんといかんぞ。奥さんの側に居て、気持ちの支えになってあげないと」と言うと
「解った。なんかあったら相談する」と電話を切りました。

7年前のことを思い出してしまいます
手術がうまくいく事と、がんに負けないでいて欲しいと願っています。

最近思うこと

2015/04/24

グリーフケアの研修に参加したときに、日本人の悲嘆回復の一つの目安として、4年6ヶ月という期間が示されました。
心の内で、一つの区切りを付けることができる、最長時間だそうです。私の場合は、あと3ヶ月でその時間を迎えます

ただ、自分でも思うのですが、三回忌(2年目)がまずは一つの節目ではなかったかと思います。一周忌はまだまだどうしようもない悲しさの中にいましたが、三回忌を過ぎる頃から、少し前向きな心になったような気がします。

そして、3年目4年目と過ぎていくに従って、確かに心の有り様に変化が出てきました

それは、故人を忘れることではなく、故人との思い出をしっかりと受け止めながらも、自分のまだ残された人生について前向きな思考が出来るようになってきたということです。

妻をがんで亡くしたことがきっかけとなって出会うことができた方々。この不思議なご縁を大切にして、これから少しづつ前を向いて、残された時間を大切にして生きていこうと思っています。

リレー・フォー・ライフ

2015/04/16

リレー・フォー・ライフ・ジャパン2015佐賀について

 

2015年9月26日(土)27日(日)の二日間に渡って

リレー・フォー・ライフが佐賀で開催されます

がん征圧、がんに負けない社会構築、追悼・・・など

いろんな角度からがんに対する思いを伝えるイベントです

 

昨夜の、りんどうの会サロンは、主にこの話に集中しましたが

りんどうの会でも「遺族」というテーマを持って

会としての参加をしたいね・・ということになりました

 

具体的には、なにも固まっているわけではありませんが

佐賀で唯一の(おそらく九州でも唯一の)遺族の会ですので

参加することでなんらかの意味が見えてくるものと思います

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